弦を弾き分ける、という作業から一時的に解放するその意義
- 2018.04.30
- Qactus-カクタス
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まだギターに触れたことのない方々のために、とても当たり前のことを冒頭に書きます。
なので、ギターにおけるミュートについて既に知っている方々は冒頭部分は読み飛ばしても差し支えません。
目次から直接「3. 自動車教習所のカリキュラムと比較」の項に飛んでください。
鳴らすべき弦、鳴らすべきでない弦
…ギターコードには「6本の弦すべてを鳴らすと不協和音を発してしまうもの」が沢山あります。
このたぐいのコードを奏でる際「撥弦するほうの手指は、鳴らしてはいけない弦に一切触れずに演奏」するという状態が理想であるはずなのですが、通常はそんなことはしません。
まあ、勢いよくジャカジャカとかき鳴らすような曲でそんなことをしたら、演奏に勢いなんかつく訳はないんです。
プロのギタリストでさえそのような方法にわざわざ挑んだりしないので、そこを越えようとは思わないで大丈夫。
代わりに「ミュート」という技術をマスターすることで、これらのコードをきれいに奏でることが出来るようになります。
「ミュート」とは?
ミュートとは、押弦する側の手指で予め特定の弦に軽く触れておき(※押弦するのではなく、軽く触れるのみ)、その弦の余韻(=音程感の持続する部分)をブロックするという、ギター演奏における基本テクニックのひとつ。
ちなみに、ミュート作業を必要とするコードのおよそ半数は「6弦ミュート」と呼ばれるたぐいのもの。
要するに「第6弦だけ鳴らしてはいけないという縛りのあるコード(=1〜5弦のみを鳴らすべきコード)」が、2つにつき1つの割合で登場する、ということです。
この「2つに1つの割合」で6弦ミュートが登場するという様子は、市販のコードブックをザックリと広げて見てみるとよくわかると思いますが、裏を返せば「6弦ミュート」さえマスターしてしまえば、ギター演奏に関わるほとんどのミュート問題はクリアしてしまうということです。(※目指す音楽ジャンルによっては初期段階以降に別のミュートスキルを養う必要があります)
「弦を鳴らす」のと同時に、「特定の弦を鳴らさない」という作業も常に伴う楽器、これがギターなんです。
ギターを始めたばかりのビギナーにとって、ただでさえ過酷な押弦作業のその上に更に「音を消すことまで同時に考えなさい」となると、やはりそれなりの高い壁となってしまうようで、私の現場(Q-sai@楽器挫折者救済合宿やワークショップ等)でも、ミュートに関しての指示を出すと、大抵多くのビギナーは「楽しい」とはまた別の複雑な表情に変わります。
我々経験者が想像する以上にビギナーにとっては過酷な作業である以上、ビギナーを導く側の立場にある我々はそんな重圧や挫折リスクをさりげなく強いているのだということを踏まえておかなければなりません。
自動車教習所のカリキュラムと比較
ギター習得のプロセスを、自動車教習に例えてみます。
教習所では以下の運転技術を、段階を追って教習生に教えていきますよね。
・縦列駐車
・方向転換
・坂道発進
・エンジンブレーキ
…など
仮に上記すべてを「いきなり練習コースでやってみよう」と教官から初日に指示されたら、ハンドルさえ握ったことのない教習生はどんなことになるでしょう。
つまり、そういうことです。
一方、ギターの場合はどうでしょう。
・コードチェンジ
・6弦ミュート
・セーハ
・撥弦(弦を鳴らすこと)
…など
同じく、初めてのことを一度にあれもこれも…といったことを実際ビギナーにいきなり求めているのが、従来のギター初級者メソッドなんです。
自動車教習所は全課程をきちんと分けて少しずつ段階的に教えてくれるのに対し、ギターは「どれも一度にやり始めなさい」と言っているんです。
ビギナーのほとんどが挫折している世のギター事情、この二者比較によってその原因が何となくイメージできることと思います。
いえ、その覚悟があるビギナーは無茶な初級者メソッドだろうが何だろうが果敢に乗り越えている訳で、従来の初級者メソッドそのものを全否定する気持ちは私自身、正直なところ、ないんです。
だってそもそも、私自身もそんな無茶な初級者メソッドを乗り越えてきた一人なのだから。
問題は、この従来の初級者メソッドに耐えられるビギナーが全体のわずか1〜2割しかいない、ということです。
趣味の選択肢や手段が増えた現代の時代背景も大きな一因でしょうが、現状ここまで極端な挫折率を叩き出している従来の初級者メソッドに対しては、きっぱりと「ほぼ機能していない」という事実を認め、移り変わる時代背景にマッチした新しい方法で前に進めていかなければなりません。
10人に1〜2人しか合格しない自動車教習所があったら、すぐに潰れちゃうでしょう?
世界中の自動車の10台に8〜9台が、ドライバーの運転技術の事情で動かせないような状況だったら、大変な社会問題でしょう?
この「機能しないギター初級者メソッド」をこのまま知らぬ顔をして引き続き野放しにし、たとえば皆さんの大切な友人知人がギターを始めたことをその本人から聞いてしまったとしたら、統計上8〜9割の確率で挫折していく彼らを黙って見過ごしますか?
Qactusはこうして「段階」を作る
従来のギター初級者メソッドに変わる新しい手段として、2017年、Qactusが発表されました。
ビギナーが初期段階で直面し、その多くが砕け散るあらゆる挫折リスクに対し、商品流通のみで充分に機能する唯一のギター初級者メソッドとして国際特許を取得。
これまで人類が手にしたことのないものであるが故の苦悩と闘いながらも、Qactusに宿る確かな実力と関係各社の多大なる努力により、ようやくじわじわとその有用性が世の中に認知され始めたところです。
自動車教習所が段階的なカリキュラムをベースに教習生を卒業に導くのと同じく、新たなギター初級者メソッド「Qactus」はすべてのビギナーを段階的かつ確実に卒業へと導く沢山の仕掛けが施されています。
中でも極めて重要で、且つ、まさに「縁の下の力持ち」のような性質のものであるがゆえに、非常に注目されづらい機能があります。
「弦を弾き分ける、という作業から一時的に解放する機能」が、それにあたります。
先ほどあげた要素を再度ここで確認しましょう。
・コードチェンジ
・6弦ミュート
・セーハ
・撥弦(弦を鳴らすこと)
…など
これらをどのように「段階的に修得できる状態」へと変えるのかを詳しく説明します。
Qactusは、インターネット環境を通じて無料で利用できる専用マテリアル「Trial-16」または「QactusCore」を正しく使用することによって、先ほど例にあげた5つの要素を以下のような状態へと変化させます。
・「6弦ミュート」「セーハ」 → ギターに慣れるまでは一切不要
・「撥弦」→ 他の大きな作業負担から一旦解放されたことにより、まずはこのトレーニングに集中できる
ご覧の通り、撥弦以外のすべての挫折リスクは一旦排除され、初期段階でビギナーが挫折する可能性を限りなくゼロに近づけることができました。
「ある程度の数のコードが押さえられなければ楽曲ベースでのトレーニングがスタートできない従来のギター初級者メソッド」に対し、Qactusの新しい初級者メソッドは「まず音楽表現への意識を養うことからスタートし、その過程で徐々に他のスキルを積み上げていく」という、これまで誰も成し得なかった方法でビギナーを上達軌道へと導くことを実現しています。
目で運転、耳で演奏
Qactusの機能に守られたビギナーは、もはやこれまでのような「押弦に全意識を奪われる」といった過酷な状況にはなく、代わりに「耳を使う」ことができるようになります。
「耳を使う」ということの重要性を知らない人は「大したことないな」と思うかも知れませんね。
なぜなら、スキルの高いプレーヤーが非常に高いレベルで耳を使って演奏しているその事実というのは、演奏者本人以外には「見えない」から。
本当の意味での「耳を使う」の重要性に気付くには少々のスキルが要るため、多くの人々は「耳を使う」ことの重要性を軽視あるいは無視しますが、楽器演奏において最も重要であるということをまずはここできちんと踏まえてください。
楽器演奏においての「耳を使う」という行為は、運転でいうところの「目で見る」にあたります。
音を聞かずに楽器を演奏するというのは、目隠しで運転するのと同じで、走る(=音を出す)ことはできても、正しく目的地へたどり着く(=心地よい音を奏でる)という本来の目的を果たすことはできません。
残念ながら、実際には非常に多くのビギナー(あるいはそれなりに経験のある段階の人も含む)が、「耳を使う」ことなく楽器でただ音を出しているんです。
これもまた従来の初級者メソッドの弱点から派生する代表的な不都合のひとつです。
ダイアグラムあるいはタブ譜などの指示通りに押弦し撥弦しさえすれば、たとえそこに不協和音が鳴り響いていても、たとえその楽曲フレーズが持っているトーン(強弱、歯切れ、余韻、ダイナミクスレンジ、タイミング、音作り、ニュアンス、相対的なバランスなど、その1フレーズに命を宿す様々な要素)がマッチしていなくても(酷い場合はお目当ての弦にピックが当たっていなくとも)演奏者本人がそれに気付かない、といったことが決して珍しくないのがビギナーの実情です。
つまり、そこに書かれた指示の通りの「作業」をやりさえすれば「私はギターが弾けている」といった錯覚を起こしやすいのが従来の初級者メソッドの弱点であり、書物で音楽スキルを得ることの弱点でもあります。
車の運転で最も重要なのが「運転」という「作業」ではなく「目的地へ安全にたどり着くこと」であるのと同様、楽器を奏でるにあたって最も重要なのは音を出す「作業」ではなく、有機的に「音楽を奏でること」です。
パッと見は運転あるいは演奏といった「作業」がなんとなくできているふうに見えても、目を使わなければ「目的地へ安全にたどり着くこと」が叶わないのと同じく、耳を使わなければ「音楽を奏でる」の次元には至らないのです。
そして、「音楽を奏でる」つまり「耳を使う」という点において最も重要なのが「撥弦」なのです。
この「撥弦」にビギナーが挑む際、高いハードルとなる要素が二つあります。
・弦を弾き分ける
前者「耳を使う」に関しては先ほど説明した通り。
特にビギナーは目の前にある様々な演奏スキルを積む課題ばかりを考えがち(というよりその作業でいっぱいいっぱい)ですが、耳を使えるかどうかが「撥弦」においては最も重要なことである、ということをここで改めて覚えておいてください。
という訳で、ここからは後者「弦を弾き分ける」について詳しく触れていきます。
必要な挫折リスク、不必要な挫折リスク
「弦を弾き分ける」というのは、たとえば先に触れた「6弦ミュート」とはちょっぴり意味合いが異なります。
6弦ミュートの場合、押弦側の手指で予め「鳴らしてはいけない弦」に軽く触れておき、基本的にすべての弦を撥弦するのに対し、「弦を弾き分ける」というのは、撥弦する手指で正確に「鳴らすべき弦」を弾いたり、「鳴らすべきでない弦」に当てないようにしたりすることを言います。
ちなみに、たとえば「2弦と3弦と4弦を鳴らし、それ以外の1弦と5弦と6弦は決して鳴らさずに、そのコードを弾きなさい」と言われたビギナーは一体どんなふうにそれを実行しようとするでしょうか?
当然、撥弦するその手指と、これから撥弦するそれぞれの弦を注意深く目で追いますよね。
実はこの「撥弦するその手指を目で追う」という「作業」が、ビギナーに「要らぬ挫折リスク」を与えてしまうんです。
撥弦する側の手指(あるいは弦)は、基本的に「見ない」が正解。
プロのギタリストたちの目線が基本的にどこを追っているのかを見ると、ほとんど撥弦する側の手には行っていないことがわかるはず。
つまり、撥弦する側の手指を目で追うという行為は、とくに初期段階のビギナーにとって「要らぬ挫折リスク」にしかならないんです。
いえ、「挫折リスクはどれも要らないものなんじゃないの?」と思われるかも知れませんが、「必要な挫折リスク」というのも多々あるんです。
上達に必要なストレスというのが、楽器に限らず何にでも必ずあるものなのですが、ここで言っている「要らぬ挫折リスク」というのは、本当に不毛で不必要なそれを指しているんです。
では、仮に「撥弦するその手指を目で追わなくていい状態」を作れたら、どんなことになるでしょう?
撥弦する側の手指を目で追う必要がなくなるため、視線は押弦側の手指(=コードを押さえる指板周辺)その一点に定まりますよね。
たったこれだけのことが、ビギナーの挫折リスク、果てはビギナーの運命を大きく左右してしまうんです。
実はQactus、初期段階(=Qactus卒業までの間)はビギナーに「すべての弦を弾いてしまってOK、練習のためのコードとしてちゃんと調和しますよ」と言い切っているのです。
私の知る限り、これまでに「すべての弦を弾いてもOKですよ」と言い切ったギター初級者用マテリアルは、現状どの時代にも、どこの国にも存在しません。
しかもQactusの場合、初期段階のコードフォームがシンプルになり、更に専用マテリアル「Trial-16」または「QactusCore」を使用することによって自ずと「耳を使う」という行為をせざるを得ないため、音楽表現に関わる部分に初期段階から意識を注ぐこととなります。
「音楽表現」というのは活字ではうまく伝わらないその最たるたぐいだと思うのですが、実際に「作業」と「音楽を奏でる」との違いは途轍もなく大きなもので、同じ練習でも、同じセッションでも、同じステージでも(あるいは普段なにげなくやっている音楽鑑賞でさえも)味わうその密度が大きく違ってくるんです。
ビギナーの神経を耳に集める、ストラミング革命
たとえば、これから一ヶ月間かけて教習所に通うことになったあなたは、その一ヶ月間、目を閉じて教習を受けたいですか?それとも最初から目を使って教習を受けたいですか?
どちらも同じ一ヶ月間、どちらも同じ「運転」、あなたはどっちを選ぶ?
たとえば、これから一年かけてギターを練習しようと決めたあなたは、その一年間、耳を使わずに練習したいですか?それとも最初から耳を使って練習したいですか?
どちらも同じ一年間、どちらも同じ「演奏」、あなたはどっちを選ぶ?
つまりそういうことです。
しかし現状、「耳を使う」を実践できているビギナー(あるいは既に経験のあるプレーヤーも含め)は非常に少ないです。
「耳を使わずに練習し続ける」という、大きな挫折リスクを伴ったこの不毛な作業からビギナーを守るには、これまではギター教室などで先生たちが指摘していくしか方法はありませんでした。
「Qactusスターターズキット」は、それを「商品流通」という非常に影響力のある形態で実現した唯一のギター初級者マテリアルなんです。
Qactusは、ストラミング(=撥弦)を「作業」でなく「音楽を奏でること」へとシフトさせることに成功した、革命的な初級者メソッドであり、挫折率80〜90%というギター界隈の惨状を打破することにおいて非常に大きな意義があります。
なぜそんなことができるのか
「すべての弦を弾いてしまってOK、練習のためのコードとしてちゃんと調和しますよ」と、Qactusはあっさりと言い切っていますが、それを実現した開発者サイドがそこに行き着くまでのあれこれはもちろんそう簡単なものではありません。
Qactusには「1upStage」という非常にフレキシブルな仕組みがあり、指一本のコードフォームでも、それが二本でも三本でも、すべて同じコードに調和します。
その上に更に「全部の弦を弾いてOK」と言っているのですから、ビギナーのレベルにそこまでフレキシブルに合わせられるギター教材「Qactusスターターズキット」の登場がビギナーにとってどれほどの大事件なのか、ギターの知識が一切ない方々でも何となくは想像できるはず。
しかし、そもそもなぜそんなことができるのでしょう?
残念ながらこれに関しては、皆さんが和声の仕組みをある程度理解しているという前提でなければ進められない性質のものであるのに加え、ここで説明するととんでもない情報量になってしまうのとで、もしも本当にきちんと知りたいという方々は、ちょっと難しいですがQactusCoreメソッドを、じっくりと時間をかけて読破してください。
まあ、これからギター挫折の壁を乗り越えようとしているビギナーの皆さんにとっては「Qactusはなぜそんなことができるのか」といったことなど知らなくてもまったく差し支えないので、まずはその「目の前の壁を一刻も早く乗り越えること」だけを考え、確実に乗り越えてください。
とにかく、これまで人類が不可能だと思って疑わなかった何かをQactusが可能にし、ビギナーのために大きな挫折リスクを排除した、ということだけ知っておいていただけたら、ひとまずはそれで充分だと思います。
ギターは難しい、だから面白い
今回の内容を通じ、「弦を弾き分ける、という作業から一時的に解放するその意義」を少しでも理解していただけたなら幸いです。
今回は古来の手法の弱点に対して明確に言及しなければ切り込めないたぐいのテーマであった事情で「従来のギター初級者メソッドはビギナーに対してうまく機能していない」といった部分を軸に話を進めてきましたが、この初級者メソッドがこれまでに多くのギタープレーヤーを排出してきたという確かな実績があるのもまた事実です。
ただ、その一方で、それが充分に機能していないためにビギナーのほとんどが挫折している訳です。
私自身、従来の初級者メソッドは今の時代背景にマッチしていないだけなのだと感じています。
目まぐるしく移りゆく世の傾向に対し、我々ミュージシャンつまり音楽文化を牽引する立場にある者たちが正しく適応できなければ、文化としての音楽はみるみる衰退し、楽器業界及び音楽業界全体にも更なる悪循環をもたらし、現在のように良い楽器を簡単に手に入れることも次第に難しくなり、人類は楽器を演奏することの喜びや感動を忘れ、音と音あるいは人と人とのアンサンブル(=調和)を築くことの大切さを見失い、果ては「人の手で演奏されない音楽」に飲み込まれてしまうといった危機感を感じています。
挫折リスクに対し、徹底的に向き合っている「Qactus」というひとつの選択肢を知ることは、これまで誰もぶち破ることのできなかった鉄壁を攻略するためのひとつの大きな力になるかも知れません。
少なくとも、これまで人類が手にしたことのなかったものである以上、まずは正しく「知ること」だと思います。
正しく知り、それが有用であるか否かを慎重に判断し、役に立つなら活用すればいいし、役に立たないなら従来の方法に引き続き頼っていけばいい。
という訳で今回は「弦を弾き分ける、という作業から一時的に解放するその意義」について書きましたが、これもまたQactusに秘められた膨大な機能のほんのひとつに過ぎません。
開発者ブログ、他にもまだ多くの人が知らない有用な情報がいっぱいあるので、願わくば隅々まで読破していただきたいと思っています。
『「指一本でギターが弾ける」の常識と、Qactusの非常識』
http://qactus.jp/blog/archives/1195
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