QactusCore-カクタスコアが仕掛ける、修行段階の和音
- 2017.10.10
- QactusCore
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目的はひとつ、ギター挫折者を救うこと
Qactus-カクタスは目的が明確なので、開発過程で様々な分岐点に立たされた時、比較的スルスルっと進むべき方向が見えて、そういう意味ではとてもやりやすい商品だったと思います。
…と、メーカーのエンジニアのようなコメントで切り出してしまいましたが、Qactusの開発者はただの「楽器挫折者を救う活動」をしてきただけのミュージシャンであります。(開発者のQ-sai@楽器挫折者救済合宿関連活動についてはこちらを参照)
たくさん作って売ることが目的で誕生したものとは違い、ギター挫折者を救うために開発され、世に送り出されたQactusは、世間ではタブーとされているものをも時には選択肢に積極的に取り入れ、仮にそれが有用であると実証されたなら、たとえQactusそのものが不利になるような選択だったとしても、「それが正解」であると決断できる強さがあります。
なぜなら、目的が「たくさんのQactusを売ること」ではなく「たくさんのギター挫折者を救うこと」だから。
そう多くのメーカーに真似できるものではないという小さな自信と大きな心労が、開発者には常にあります。笑
段階を修行と実践とに分ける意義
目的、つまり「ビギナーにとっての初期段階の壁をどうやって確実に突破させ、Qactus卒業後の軌道に安全に送り届けるか」という尺度で考えた時、どうしても「初期段階 = 修行」という発想が必要になります。
修行というのは「次のステップに到達するために必要な過程を踏むこと」なので、次のステップあるいは最終目的地で行なう物事とは異なることも多々あります。
例えば、野球部に入れば最初は球拾い、料理の道を目指しても最初は皿洗い、華やかにドラムセットをドカドカやりたいのに最初はメトロノームとスティックで小太鼓の練習、カジュアルな英会話をマスターしたいのに最初は基礎構文ばかり。
しかしそれらは後々振り返ってみると必ず次のステップに繋がるために必要なスキルトレーニングだったのだと気付きます。
ギターの場合、多くのビギナーがくじけるのはコードフォーム形成とコードチェンジなので、それらを一旦「後回し」にし、ザックリと何らかの曲を奏でつつ遊びながらギター演奏の感覚を掴んでいきましょう、というのがQactusでいう「修行」です。
この「後回し」によって生じる、修行段階に限ったトレーニング法がQactusCoreにもあります。
説明が複雑になってしまうので、ここでは一旦「後回し」という表現で通します。
疑う意識から得られるもの
ちなみに皆さん、教科書が全て正解なのは当たり前、だと思います?
まあ、当たり前ですよね、教科書が正解だからこそ、疑うことなく勉強できる訳です。
ただ、それが楽器挫折の実態と照らし合わせた時、必ずしも正しい教科書が最もビギナーのために良いものであるのかどうかといった疑問にたびたび直面します。
これは長年、楽器挫折者と向き合ってきた中でじわじわと明らかになった案件で、実際に現場で大きな成果を上げているものですが、ここからのお話は、結果どのようなマテリアルが楽器上達によい影響を与えるのかという事実や傾向を現場レベルで知っている人でないと、本当の意味では理解できないかも知れません。
もちろん、現場で成果を上げている大変興味深い内容なので、もしピンと来なかったとしても必ず最後まで読み進めてみてください。
市販のソングブックやスコアブックの落とし穴
ひとつの例えとして、このような事例が多々あります。
市販のソングブックやスコアブックを購入し、楽器挫折者救済合宿に持参されるビギナーが時々いらっしゃるのですが、よくある音楽出版物ならではの誤植や採譜ミスをそのまま覚えて、しかもその間違いに気付かないといったことがよくあります。
つまり、耳を使わずに音楽を演っているのです。
そんなビギナーに、私はこんな意地悪を言います。
「このマテリアルの中に一カ所だけコードの間違いを仕掛けておきました。さて、どれだかわかりますか?」と。
するとほとんどのビギナーが、さすがに正解が何なのかは言い当てられないとしても、少なくともその仕掛けられた誤植のコードをサラッと特定することができてしまいます。
市販のソングブックやスコアブックの誤植に気付かずに間違いを間違いのまま覚えてしまう彼らが、容易く自分の力でその間違いを見極められるようになるのです。
つまり、耳を使い始めるのです。
演奏耳を育む
このように、演奏の際にその音が今どのように響いているのかを注意深く確かめるその聴覚の意識が宿った耳を私は「演奏耳」と呼んでいます。
いわば板切れに細い針金を張っただけの(ギターという名の)無機物を使って、生き物のように躍動する音楽をつむぎ出すためには、演奏耳が必要不可欠です。
しかし「この教科書は正解」と信じて疑わないその絶対の安心感によって演奏耳が育たないという実態があります。
楽器挫折の実態にこの「演奏耳」は非常に深く関わっていることが確認されている以上、Qactus開発においてその効能を活かさない理由はありません。
Qactusの修行過程に、実はこの「演奏耳」を育むための仕掛けをしてあります。
伴奏楽器を演奏する際、たとえまだスキルが全く追いつかない段階であったとしても最低限「和音」ぐらいは綺麗に響かせられるよう頑張る訳ですが、多くのビギナーはなかなかうまく鳴らすことができません。
ギターの場合、すべてのポジションにそれぞれの指を置き、理想の角度や押弦力や必要な弦ミュート等を保った状態で撥弦することを目指しますが、ビギナーは何らかの未熟な要素が邪魔をするので、あのビギナー特有の濁った音を平気で発します。
これに対しQactusは、その「すべてのポジションにそれぞれの指を置き、理想の角度や押弦力や必要な弦ミュート等を保った状態で撥弦すること」のハードルを一旦下げてくれるため、ギターをはじめたばかりの初期段階であったとしても指1~2本程度に留められた演奏課題を集中して向上させようという意識の動きがビギナーの中に宿るようになります。
とっ散らかりがちなビギナーの運指はだいぶ整理され、効率よくそれらの上達に向き合うことができるようになります。
時々濁る和音
その一方でQactusは、ある特定のキーやコードを鳴らした際、時々和音が積極的に濁ることがあります。
これは修行過程が終わるのと同時に解消されます。時々起こる和音の濁りを、演奏耳を育む仕掛けとして修行過程で利用しているのです。
QactusCoreの和音は、時々、積極的に濁ります。そこに対して違和感を感じなければ演奏耳は育まれません。
仮にQactusCoreに登場する全てのコードが耳で疑う必要のない完璧なものだとしたら、耳を使わずに視覚だけで「弾けた」というビギナーの陥りやすい罠にやられるでしょう。
「あれ、何か響きがおかしいぞ」と感じる意識が、演奏耳を育むのです。
演奏耳の重要性は、演奏スキルのあるプレーヤーにはわざわざ活字にするまでもない常識中の常識であります。
卒業後のビギナーを守る仕掛け
また、この「時々積極的に濁るQactusCoreの和音」は、実はQactus卒業後の更なる壁を乗り越えやすくする効果も狙って仕掛けられています。
ビギナーはQactus卒業後から新たな作業と向き合うため、新たな挫折のリスクに晒されますが、修行段階で濁っていた和音が、まるで深い闇と霧が晴れたように澄んでいく実感としてその「演奏耳」に次々と飛び込んでくるため、その新たな壁を今まさに越えようとしているビギナーたちの大きなモチベーションとスタミナになります。
教科書の目的
「正しくない教科書」という奇抜な方法で上達を促すQactusに対し、もちろん保守派はネガティブなことを言いますが(この意図をきちんと知ったほとんどの人は幸い納得してくれておりますが)、大事なのは原点、Qactusの目的…つまり「ビギナーにとっての初期段階の壁をどうやって確実に突破させ、Qactus卒業後の軌道へ安全に送り届けるか」ということであり、それを果たせるかどうかが全てだと思います。
そもそも、ビギナーは「正しい教科書」をもとに練習しても、曲中でテキパキとコードチェンジの波に乗り切れないうちはきちんとコード群は押さえられず、あのビギナー特有の不協和音が鳴り響く…つまり、結局は濁るんです。
そう、なんやかんや言っても結局、ビギナーは修行段階でコード進行の波に追いついてはいけず、どっちにしても同じように「濁る」のです。
「正しい教科書」と「沢山の挫折克服者」、何としてでも我々が作らなければいけないのはどっちなのでしょう?
そう、つまりそういうことなのです。
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